「ぐぐっと」
自分について過去を振り返れば、何かの概念を理解し得ないから数学がわからなくなったのではなく、別の概念を頭の中から追い払うことができないので、わからなくなったように思う。
しかし、このことはじつに説明しにくい。というのは、正しい数学の理解は一応一通りに定められるだろうが、誤った考えは数限りなく、しかも、その誤った考えを正確に表現することそものが難しい。
正確さということを全く考慮しないで言うなら、私の取り付かれていたアイディアの一つに「ぐぐっと感」とでも言うべきものがある。
たとえば小学生のとき比例関係というものを、この「ぐぐっ」とで理解していた。風呂に水を入れるとき、秒針が「ぐぐぐっ」と動いていくのと、水の量が「ぐぐぐっ」と増えていくのと、二つの「ぐぐっ」との関係として理解していたわけである。(そのため、y=ax+b のような関係をどうして比例と言わないのか不思議だった)
一方、数の集合が二つあって、そのメンバーが 1 対 1 の対応をしていて、その関係が定数倍になっているという考え方では、「ぐぐっ」という感じがしない。
連立1次方程式を解くときも、二本のグラフの上を歩いている蟻が「ぐぐっ」と近づいてゴッツンコするところが解というイメージで理解していた。これに対して、二本のグラフの共有点が解であるという説明では「ぐぐっ」と感がない。
おかしなことに、私はこの「ぐぐっ」というのに何か非常に「本質的」なものを感じていたのである。これと「本質的なものは直感的に理解しうる」という何だか頭悪げな傲慢さとが相俟って、代数が全然わからなくなってしまった。
では、「ぐぐっ」をもう少しきちんと説明するとどうなるか。じつは、これは私の手には負えない。自分の「ぐぐっ」が数列のようなもので扱えるのか、連続という概念と関係があるのか、たんなる時間というパラメータに帰するべきなのか、それもわからない。
@kabipanotoko