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インクライン

京都に有名なるインクラインとは incline であらうと思ひ辞典(リーダーズ第 2 版)で引いてみる。「《普通の機関車で上れない》急勾配鉄道」という意味の名詞が見つかる。

広辞苑第 5 版にはもっと突っ込んで、「(inclined plane) 傾斜面にレールを敷き、動力によって台車を走らせ、貨物や船を昇降させる一種のケーブル‐カー。日本では琵琶湖疏水の京都市蹴上(けあげ)にあったものが有名。」とある。この説明にもある京都市蹴上にインクラインの跡を見に行った。

琵琶湖疏水(そすい)は明治時代に造られたる水路にて、大津と京都を結ぶものなり。飲用・発電などの水源の確保のほかに、貨客の輸送路として用いられたりと。これ明治時代の大工事の一つにて、その重要性、大津付近の水路用隧道(ずいだう・すいだう=トンネル)に伊藤博文、山県有朋、西郷従道らの書の彫られたることによりて推測す可し。余はこれを http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/htmlsheet/toshi27.html より知りたり。余談ながら、同頁に「第一隧道内壁」に「北垣国道」の「宝祚無窮」といふ書が彫られたりとある。水路トンネルの内壁に彫られては気の毒といふほかなしと思ひたれども、思ひ直してみれば、かの水路は舟に貨客を乗せて運びたるものなれば、人の目に触れざるといふことには非ざるなり。

水路(第一疏水)は大津から延々と旅をして、京都市山科区日ノ岡夷谷町に第六隧道の出口をむかえる(写真下)。これには、なにやらギリシア風の三角形をした破風がついている。その下のトンネル開口部は横長の楕円形なので、正面全体のバランスが横長にならないようにするためには、破風の下にスペースを追加するしかなかったとみえる。そのスペースは、彫られた書を掲げるのに用いられている。なんだか無骨な感じがするが、これも明治を偲ぶ一興である(第一疏水は明治23年に完成したりと)。

そのすぐそばに、九条山浄水場ポンプ室というのがある。くわしいことは、http://www.gijyutu.com/ooki/isan/isan-bunya/biwakososui/kujyouyama/kujyouyama.htm で知れる。

いよいよここからがインクラインの出番である。そもそも、インクラインには二種類あるなりと。両勾配式と片勾配式なり。両勾配式は、高い端と低い端の両方に滑車があり、鋼索(ケーブル)は輪ゴムのようにこれらの滑車にかかっている。鋼索には台車が二つつれられており、一方が上れば他方は下るようにして行き来するわけである。これに対して、片勾配式のものは高い端に滑車が一つだけあり、鋼索についた台車ふたつは釣瓶のごとく行き来するのである。(これは、疏水記念館に展示されている図より知りたり)

けだし、水路より水路に台車を行き来させるには、両勾配式に非ざるべからず。京都のインクラインも両勾配式なり。下の写真は、山科区側の高い端から舟を引き上げる箇所、南禅寺船溜りである。

下の写真で台車の後ろに見える車輪状のものは、鋼索をかけるための滑車。これらは当時は水中に置かれて使用されていたものである。

前から見ると以下のようになっている。鉄道愛好者風の表現をすると、なかなかの「勇姿」である。

ここがインクラインのいちばん高い場所であり、あとは北西の蹴上方面に下る。ちなみに、(インクライン跡に建てられている京都市水道局の説明看板によると)インクラインを動かす動力は、最初水車で設計されていたが、電力に設計変更したものだという。そのため、(疏水記念館内に書いてあった説明によると)蹴上発電所の完成を待ち明治 24 年に営業をはじめたという。

愉快なことに、このインクライン軌道の上を歩くことができる。下は望遠レンズで撮影したものなので、線路がふにゃふにゃに見える。

ちょうど地下鉄蹴上駅あたりまで降りてきたところで、このインクラインの下に「まんぽ」がある。「まんぽ」というのは http://www.gijyutu.com/ooki/isan/isan-bunya/biwakososui/nejiri/nejiri.htm によると、「線路の下をくぐって通り抜けが出来るようなトンネルなどの構造物を示す「まんぽ」という言い方は、中部地方から近畿地方にかけて使われていた方言」だそうである。

この「まんぽ」は特に「ねじりまんぽ」と呼ばれているということで、Google で「ねじりまんぽ」を検索すると多数写真が得られるところからもわかるやうに、至極有名なものなり。

どうして「ねじり」なのかというと、アーチをつくるレンガの詰み方にその理由がある。

先に紹介したる頁(http://www.gijyutu.com/ooki/isan/isan-bunya/biwakososui/nejiri/nejiri.htm)によると、「アーチ状のトンネルの上を通るインクラインと、トンネルが直角ではなく斜めに交差しており」、これを支えるための工夫なのだそうだ。なお、同頁に紹介されている参考文献は

小野田滋(財団法人 鉄道総合技術研究所)「 奇妙な煉瓦積み(1)〜「ねじりまんぽ」の謎 」
雑誌「技術教室 2001年12月号(No.593)」農文協 60〜63ページ

なり(Thanks!)。

この蹴上の「ねじりまんぽ」以外にも、こうした斜架拱というものが全国にあるそうで、http://hidekikawa.jp/neji/nejirimampo.html (http://www2s.biglobe.ne.jp/~h_km/ がトップ頁)に確認例の写真が多数掲載されている。また、この頁には下のような参考文献も掲げられている(Thanks!)。

[1]日本の近代土木遺産 現存する重要な土木構造物2800選[改訂版] (社)土木学会
[2]トンネル,橋梁の見方・調べ方 鉄道構造物探見 小野田 滋 JTBキャンブックス
[3]鉄道と煉瓦 その歴史とデザイン 小野田 滋 鹿島出版会

さらにインクラインの軌道を下ると、もう一台の台車が保存されていた。(京都市水道局看板によると)インクラインは、二段変速が可能であったとか。

ちょうどこのあたりで並走している道路の歩道から軌道上に入ることができる。桜が軌道の左右に植えられていて、春には花見客で賑うそうである。

インクラインによる 582 メートルの旅も終わり、蹴上船溜りに到着。(京都市水道局看板によると)この旅にかかる時間は 10 から 15 分であったという。

蹴上船溜りのすぐ脇に、疏水記念館がある。発電機や水車が保存されているし、災害用備蓄飲料水「疏水物語」という京都市上下水道局の供給による水道水 490 ミリリットルのアルミボトルを売っている(1 本 100 円)ので、おみやげにどうぞ。

(2007年7月21日)

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