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ミス・クラベルは、何事にも驚かないか

「げんきなマドレーヌ」という有名な絵本がある。 孤児院らしき施設で暮らすマドレーヌなる名前の女の子が主人公だ。 施設の先生で、責任者らしい人は、ミス・クラベルという名前だ。 絵を見る限り、尼さんらしい。

マドレーヌは度胸がすわっていて、動物園で虎を怖がらぬ。 橋の手すりの上を歩いたりもする。

さてさて。 「げんきなマドレーヌ」(ルドウィッヒ・ベーメルマンス作・画、瀬田貞二訳、1972、福音館書店) という絵本がうちにある。

マドレーヌが橋の手すりの上を歩いているシーンが18ページに出てくる。いわく

「せんせいの ミス・クラベルは、 なにごとにも おどろかない ひとでした。」

絵を見ると、このときミス・クラベルは、片手を額に当てて、橋の手すりの上を歩くマドレーヌを、落ち着いて眺めているように思える。

しかし、私はこの本を初めて読んだとき、ここで何か引っかかった。

たとえば、41ページから、43ページまでには、ミス・クラベルは
「いちだいじかと、しんぱいで、
はしりに はしって、
かけつけて、」
とある。

少なくとも、彼女はここで驚いている。

全体を読んでみても、クラベル先生は、肝っ玉母さんみたいなお人ではなくて、ふつうの善良な尼さんだ。

なんでこの危険なシーンでクラベル先生は驚かないのだ?

さてさて。ここに、どっかで7ポンド99ペンスで買った、版元がHippoとだけ書いてある英語版の マドレーヌがある。題名はただ Madeline だ。

「なにごとにも おどろかない」のところが どうかてあるのか きになって よんでみました。

文は前のページからつながっている。
To the tiger in the zoo Madeline just said, "Pooh-pooh,"
「動物園の虎に対してマドレーヌはただ「プープー」と(馬鹿にしたように)言ったのみ。」
のあとが問題の橋の絵があるページで、
and nobody knew so well how to frighten Miss Clavel.
となっている。

素朴に訳してみると、「どうやってミス・クラベルを震え上がらせたらよいか そのようによく知っている人は、だれもいませんでした」となる。

so well というのは、as well as Madeline のことじゃないかな。 つまり、「どうやってミス・クラベルを震え上がらせたらよいか、 マドレーヌほどよく知っている人はいませんでした」の意味であろう。

ミス・クラベルはマドレーヌに、よく震え上がらされているということになる。何事にも驚かないなんてことは、これっぽっちもない。

そう思って、橋の上をマドレーヌが歩いている絵を見ると、額に片手を当てているミス・クラベルは、驚いて気が遠くなりそうだというポーズをとっているように見えてくる。

誤訳という言葉はあえて使うまい。版を重ねている本だ。きっとだれかが、たぶん一か月に一度くらいの割合で、版元に文句を言っているに違いない。それでも、改訂されないのだ。

絵本というのは、親が子どもの頃に読んで、それをまた自分の子どもに読ませたりする。そのときに、急にクラベル先生がビビリ屋になってしまったら、きっと残念に思うだろう。

でも、あの挿絵はミス・クラベルが目眩いを起こしてクラッとしているシーンだという説は、もしかしたら全国のマドレーヌ・ファンの喜びとするところなのではあるまいかと思い、お叱りは覚悟の上で、不粋なことを書いてみたのだ。

(参考にした英語版が、どうも素性のはっきりしない版であるから、そちらが間違えているのかもしれない。正しいところを知る人がいたら、教えてください。)

おわり