カビパン男と私

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マヨネーズを塗った食パン

私がグルメという言葉から想像する食事シーンは、もっぱら外食である。あの店のこれがいいとかこの店のこれがいいとか言っているのがグルメであり、家庭で作った料理はグルメという言葉が似合わないような気がする。B級グルメなどという言葉もあるが、B級だろうがC級だろうが、やっぱり商売として飯を食わせる店の世界の話だ。

では家庭には一切グルメ活動がないのかといえば、そんなことはない。選択があるところにグルメがあるのだと思う。家庭でグルメが成り立たないように思うのは、出てきたものをウマイウマイと言って食うよりほかに選択肢がないからである。自分が家族のために料理を作る場合は、今度はこちらが料理人の立場になってしまうから、やはりグルメという感じがしないのだ。自分のためだけに食事を作ったり、雇う料理人を選択できるような場合(見たことないけど)には、グルメということが成り立ちそうだ。

さて、いったん話が変わるが、私は料理が好きである。そして日常的に夕食を作っている。ただし人のために作るのが好きなのであって、自分一人で食べるために手間をかけることは殆んどない。いや、むしろ手間をかけないことに奇妙な喜びさえ覚える。だから、家に自分しか居ないという、せっかく家庭内グルメを楽しめるシーンが訪れても、その機会は生かされない。残り飯を電子レンジで温めて卵と醤油をかけてかき混ぜるとか、スパゲッティーを茹でてオリーブオイルと塩をかけるとか、食パンにマーガリンを塗り砂糖をかけて食べるとかなんてことばかりしている。

今日は家に一人なので、話題のアニメを Netflix で履修しながら、焼いてない食パンにマヨネーズを塗ったやつを食べることにした。食パンは常備しているので、こんなときにムシャムシャするわけであるが、たいがいは蜂蜜をつけたりピーナツバターをつけたりして甘くして食べる。バラエティをもたせるために、今日はマヨネーズに挑んだわけであるが、これが案外旨かった。半分食べて冒頭のポストを X に投げて、残り半分をウマウマしていて突然気づいた。私は今日マヨネーズという選択をしたのである。そして、選択あるところにグルメありなのだ。

いやいや、いくらなんでもマヨネーズ食パンがグルメであるはずがないと言われるだろうか。しかし、私の頭の中ではすでに、グルメは旨さや高級さとは無関係に、選択可能性によって定義された行為なのだ。

とはいえ、マヨネーズ食パンではなあ……。レベルでいうなら、CとかDとかでは足りない。XかYかZか。いや、このアルファベット最後の三文字は、何か強そうな感じがする。変数みたいでもあり、ミステリアスでもある。やはりここは大人しくFで我慢するしかあるまい。そういうわけで、私の頭の中でF級グルメというものが誕生したのである。

@kabipanotoko